女優の目から見たインド映画

インド映画における女性性の表象

赤井
皆様ようこそいらっしゃいました。
我々のシンポジウム、「女優の目から見たインド映画」に皆様をお迎えできて大変うれしく思います。このシンポジウムは日本学術振興会による助成金、日本では科研費と呼ばれていますが、そこからの支援を受けた私の研究の調査結果を暫定的に公表するために開催しました。その目的とするところは、男性アイコンが支配的なインド映画での女性性のイメージの発達を探り、またその映像的表現がインド社会の近代化に即していかに完成されていったかを詳しく実証することです。
このシンポジウムを実り多いものとするために、私はここへ2人の高名な来賓講演者を招待しました。1人目はローヒニで、もう一人はニティヤ・メーネンです。それではローヒニとニティヤ 、ここにいらっしゃる皆さんにすこしご挨拶をお願いいできませんか。
ローヒニ
こんにちは!このシンポジウムに参加できてたいへん幸せです。神戸学院大学に感謝しています。赤井先生、学校の名前を正しく言えましたか?
赤井
その通り、神戸学院です。
ローヒニ
赤井先生のご招待に応じて私はこちらに参りました。飛行機から大阪空港に着いたらとても寒かったです。とても寒かったのですが、ここで日本人の人たちに会った後で、日本人はたいへん優れた、つまりクールな民族だということが分かりました。2つの国の間の文化的つながりは非常に重要です。ただこのような努力を通して我々はお互いの文化を知ることが可能になります。なぜなら、国というものは地図の上での国境と事象などではないからです。それは人々と感情なのです。芸術でつながること以外に最上の方法はないでしょう。 ただ芸術だけを通して、我々はつながることができるのです。だから、私たちは、ここで芸術を通してつながっているのです。お招きくださってどうもありがとうございます!
赤井
それではニティヤ 、お願いします。
ニティヤ
コンニチワ!まずお断りしておきたいのですが、シンポジウムの間に何度もせきをすることをお詫びします。ひどい風邪から回復しているところで、せきがまだおさまっていないのでご勘弁願います。私と赤井先生はこれまで、およそ2年間になりますか、今回のために計画してきました。かれは私が来日して話をすることを望んでいました。また私は本当に日本来てみたかった。そして最終的に、たくさんのあれやこれやがあったのですが、やっと日本へ来れました。そして私たちはようやくこのシンポジウムを行っているのです。私はとてもとても幸せです。これほど多くの日本人が、私たちの映画産業で起こる入り組んだ細かな事情について、これほどの興味を持とうとしていることにたいへん驚いています。そして日本政府がこのシンポジウムに助成を行い、つまりシンポジウムに資金提供をしていることに驚いています。日本の政府がそのような理解を示してくれていること、このような機会を設けるのを認めたくれたことに感激しています。本当に皆さんがここへ集まってくださったことに感謝しています。そして望むらくは、みなさまがこのシンポジウムから何かを得ていただけることを期待します。最後に、これは学術会議ですので、写真が必要でしたらスマートフォンの音を消してくださるようお願いします。この場をパパラッチ的なものにしなくていいでしょう。純粋にアカデミックな集まりなのですから。ありがとうございます。
赤井
どうもありがとうございます。皆様はお手元にシンポジウムのハンドアウトをお持ちのことと思います。ハンドアウトの裏面にローヒニとニティヤの短い伝記的なデータとフィルモグラフィーの抜粋を記しておきました。それを読んでいただければお分かりになるでしょうが、 ローヒニとニティヤのキャリアには単に著名な女優であるだけでなく、ダビングアーティスト、作詞者、プレイバックシンガー、監督という他の多様な活動が含まれています。これはローヒニとニティヤの能力が非常に有能で多才であることを意味します。そして映画製作の多様な部門における豊かな経験ははこのシンポジウムの目的に最適と言えます。それはインドの映画で表現された女性のイメージをいっそう明確にするはずです。ローヒニとニティヤがそこで見てきたこと、もっと重要なことは二人がそこで表現しようとしてきたことは、インド映画の女性性を我々が理解するにあたって大きな助けとなるでしょう。
このシンポジアムのタイトルは「女優の目から見たインドの映画」となっています。みなさんは映画界に映画を作ってる側にしか知られていないことがあるのをご存知でしょう。私たちが映画館で、もしくはTVあるいはDVDで映画を見ている限り絶対に分からないことがたくさんあります。望むらくはローヒニとニティヤの話の内容でいわゆるインサイダー情報に私たちが触れることができ、それが私たちを大いに啓蒙してくれることになりますように。今日、我々は銀幕の後ろの世界を一瞥することができるかもしれません。 それは極めて面白いものでしょう!
けれども詳細な問題に入る前に、なぜこの二人のゲストを情報提供者として選んだかというもう一つの理由を説明しようと思います。それを明確にするために、我々は言語の問題を念頭に置かなければなりません。よく知られているようにインドには世界中で最も巨大な映画産業があります。スクリーンに映しているこのグラフを見てくだされば、インドでは年間千本以上の映画が作成されていることがお分かりでしょう。
けれどもこれは12億以上の国民が同じものを見ている、より正確に言えば「同質の映画」を見ているということを意味しません。インドの映画産業はヒンディー語、タミル語またはテルグ語といったように言語によって分割されています。そしてインド人は母語が使われる映画を観る事を好み、他の言語の作品にはほとんど注意を払いません。それが現実ですよね?
スクリーンに映している地図をご覧ください。これはインドの言語分布を示しています。ヒンディー語とその姉妹言語は北インドをカバーしています。南インド(これは私が専門としている地域であり、ローヒニとニティヤが生まれ育ったところです)ですが、その言語はヒンディー語が支配的である区域とは全く異なっています。この言語は(北から順番に)テルグ語、カンナダ語、タミル語、マラヤーラム語となっています。もう1つ重要な点はこの地図が同じく州の区分を示しているということです。この黒の線は州境を意味しています。換言すれば、インドの州というものはそれぞれの母語話者ごとに成り立っているのです。あくまで理論的には、タミル・ナードゥはタミル語を話す人々が住んでいて、カルナータカ州は主としてカンナダ語話者のための世界なのです。
もっと重要なことに、この地図は同じくインドの映画産業の区分も示しています。タミル語映画はタミル・ナードゥに住むタミル語話者のために制作されます。そしてテルグ語映画が提供される区域はアーンドラ・プラデーシュの州内にあります。より正確に申し上げますとアーンドラ・プラデーシュ州は現在、アーンドラ・プラデーシュとテランガーナの二州に分割されていますが、しかしながらテランガーナ州に住んでいる人々は同じくテルグ語話者なので、テルグ語映画はいまだにテルグ語話者のためのものとなっています。ある言語の映画が別の州で公開されるのは容易ではありません。テルグ語映画をタミル・ナードゥかカルナータカ持ってゆくというようなことです。
そして個々の映画産業が独特の映像手法と美的感覚への傾向を持っています。もしこれら4言語の映画について十分に知識をそなえていれば、区別することは難しくありません。直観力に「このストーリー展開は実にテルグ風だ!」とか「典型的なマラヤーラム語映画だね」などと分かります。区別するのは実に簡単です。
ニティヤ、あなたは4つの映画界を経験していますが、決定的な相違があるとすればそれが何か教えてもらえませんか。
ニティヤ
私はこれら4つの言語をすべて話します。私はテルグ語、 カンナダ語、マラヤーラム語とタミル語を話せます。マラヤーラム語は先祖代々の母語です。けれども私はカンナダ語話者の州であるカルナータカで生まれましたから、カンナダ語を読み書きすることができます。タミル語とテルグ語については…タミル語は理解しています。テルグ語については勉強しました。
赤井先生、別言語へのダビングの話をここでしましょうか。
赤井
どの言語が一番が好きですか。強い感情を示すのに最適だという点から考えて。
ニティヤ
私は南インドの多様な言語を体験上知っておりますから、どの言語であっても話すのはとても簡単だと分かっています。テルグ語が実に美しい言語だとわかりましたからすぐに習得しました。だから今とても流暢にテルグ語を話せますが、それは私がこの言葉が好きだからです。マラヤーラム語はもちろん私の母語ですからよく知っています。カンナダ語は生まれ故郷の言葉ですからいちばん私の心に近い言葉です。カンナダ語は読み書きすることができます。子供のころ最初に耳にした言葉ですから。というわけでどの言語でも私にとって心地よいです。だから私は南インド4言語の映画産業のどれでも仕事をするのです。またこの言語なら吹き替えすることができます...ここで今、ダビングの話をしましょうか?
赤井
はい、どうか続けてください。
ニティヤ
どの言語でも母語として吹替えできます。つまり4言語どれでも自分の肉声が使えるのです。
赤井
ニティヤが4言語のどれでも肉声を使えるということに関しては後程一例をあげて説明申し上げましょう。コメントをどうもありがとうございました。私が言いたいのは北と南の間に最も明確な相違が見られるということです。北インドはヒンディー語映画、別名ボリウッドの市場です。産業規模は最大で、正統派とされています。しかしながら、スクリーンのこのグラフをご覧いただきたいのですが...
ローヒニ
よろしいでしょうか?少しだけ訂正を。ヒンディー語映画はインド中いたるところで公開されます。国民的な訴求力があるのです。それとは異なりタミル語映画は北インドで同じような吸引力を持たないでしょう。それはベンガル語映画もタミル・ナードゥでは魅力を持たれないのと同じです。ですがヒンディー語映画は汎インド的な訴求力があります。ヒンディー語映画は国中至るところを公開されます。それらには市場があるのです。
赤井
どうもありがとうございます。私が申し上げたいことはですね、これは言語別のインド映画の生産区分です。ヒンディー語17 %、タミル語16%、テルグ語14%、カンナダ語11% 、マラヤーラム語8%、そしてその他の言語34%となっています。もし生産量でだけ見るなら、南の4映画産業を合算すれば数の上でボリウッドを超える数の映画を製作していることになります。そこから我々はこれらの4映画産業を大きな単一の映画市場として、集合的に南インド映画として理解することができます。
先に申し上げた通り、ある言語で会話がなされる映画を別言語の市場に輸出することは難しいのです。これは日本人には奇妙に思えますよね。例えば、膨大な量のアメリカ映画が日本市場に輸入されますが、たとえ英語を理解することができないとしても日本の聴衆はアメリカ映画を見て楽しんでいますよね。なぜでしょうか?映画に日本語字幕がついていたり、あるいは日本語へ吹き替えたバージョンがあるためです。ではインドの状況はどうか?第一に字幕はインド市場ではあまり役にたちません。識字率がそれほど高くないのが理由の一つではないかと私は考えます。それと同じく、これはとても奇妙なんですが、吹き替えもそれほどうまく機能しません。これは非常に奇妙です。この現象を説明するのに満足のいく理論に私は一度もお目にかかったことがありません。けれどもインドの人々は恐ろしいほどに「リップ・シンクロナイゼーション」つまり唇の同期化を気にします。これはかれらが聞いている声の発音に対して、俳優の唇が正確に対応して動いているのを見ることを好むということを意味します。我々がアメリカ映画あるいはアニメを見ている場合について考えましょう。アメリカ人俳優が話し始めると日本語が聞こえてきてセリフが終るとそれは終わります。けれどもその間、画面上の唇の動きは完全に吹き替えられた日本語の発音とは異なっています。私たち日本人はそれほど気にしませんが、インドの人々はかなり気にします。どんなに上手に俳優が演技しようと、どんなに感情的に話そうとも、インドの聴衆は俳優のセリフの発音と同期しないならそっぽを向いてしまうのです。
こう考えるとインドの俳優が何をすべきであるかということが見えてきます。男優も女優も、聴衆が毎日使う言語をよく知ってるかのように唇を動かさなくてはなりません。たとえその言語をまったく知らないとしても、そうしなければならないのです。そしてもう1つの重要な点は、対話において自然な流暢さを生み出すためには熟練した吹き替え俳優による演技が必要だということです。
今からお見せしようとするは『ザ・デュオ』 というタミル語映画からの抜粋です。有名なマニラトナム監督の作品です。
そしてこの『ザ・デュオ』は1994年ミス・ワールドで現在ボリウッドで最も有名な女優アイシュワリヤー・ラーイ のデビュー作品として知られています。どうか皆さんはアイシュワリヤーがタミル語話者ではないことをご留意ください。ここで彼女はセリフをどこか画面に映らないところにいるプロンプタの指示のままに話しています。そしてアイシュワリヤーの声は後にタミル語を熟知しているダビング・アーティストによって吹替えられました。
では抜粋をお見せしましょう。
ローヒニ
プロンプタは必ずしもいるわけではありません。俳優はセリフを丸暗記するのです。字が読めないからではありません。映画ではリップ・シンクロナイゼ―ションが必要だからです。

(ビデオ)『ザ・デュオ』からの抜粋
赤井
ご覧になって、スクリーンのアイシュワリヤーが自然に感情をこめて喋っており、唇の動き方は実際の発話と同期していることをお分りいただけたものと思います。
ところで誰がアイシュワリヤー・ラーイを吹き替えたかお分かりになりますでしょうか?

フロアから:
ローヒニ、ミセス・ロヒーニですね。
赤井
その通りです!
ローヒニ
会場にこんなにたくさんインド人がいるとは!
赤井
彼女はほかでもない、私の隣にいるローヒニです。
ローヒニ 、あなたはこのセリフを覚えていますか?
ローヒニ
残念ながらこのセリフは覚えていません。でも『ザ・デュオ』撮影時に経験した体験を皆さんと共有したいのです。私が申し上げたいことは、リップ・シンクロナイゼ―ションがあるのは識字率とは関係しないということなのです。私たちインド人は全身全霊で映画を見て楽しみます。だから字幕を読むために視線を下に落としてまた上げるという煩瑣な所作はしたくないし、またリップ・シンクロナイゼ―ションをしなければ聞こえている声とは別の言語で役者が喋っているのは分かってしまって興醒めするのです。インド人の映画体験というのはそういう違和感のない完璧なものであったし、またそうあることを強く望みます。だから映画を作る側の私たちも観客にこの完璧な体験を与えようと努力します。これが吹き替えするときに念入りにリップ・シンクロナイゼ―ションする理由です。仮に英語の映画を吹き替えるときも同じなのです。
今取り上げられている『ザ・デュオ』より前に、私は『私の心を盗らないで』(『ギータンジャリ』)と『ボンベイ』という2つの映画でマニラトナム監督と働いたことがありました。マニラトナム監督が『ザ・デュオ』のために私を呼んだときかれの気にかけていたのは同一の声音は必要ない、この映画のヒロインは同一の声音で通してはならないということでした。最初に監督は私に言いました。「君の声を試してみようと思う。吹き替えすると思ってはダメだ。吹き替えのために呼んだのじゃないからね」と。「了解です」と私は答えました。私はかれのことを知っていたからです。私は『ロージャ』の時もヒロインのマドゥーバラの声を担当しかけて、監督はそれを気に入っていなかったことを知っていました。マドゥーバラ自身の声を聞いて私は監督に言いました。「とても好いじゃないですか。どうして吹き替えに私を呼んだんです?」実は監督はマドゥーバラの声音にはブラーミン的なところが強く出ていてそれがよくないと思ってました。でもかれは『ロージャ』では結局マドゥーバラの肉声を使いました。だから私はかれが私の声を試そうとしているのが分かっていました。もし気に入らなければ、私を使わないだろう、私たちは近しい友人ではありましたが、そうなるだろうと分かっていました。
それで、私たちがそれをやろうとしたんですが、そもそも『ザ・デュオ』ではアイシュワリヤーには違った二役がありました。監督は私に第一の役をやらせようとしました。私は真似ることから始めました。アイシュワリヤーが喋ってる時の声のエッセンスをつかもうとしたんです。彼女は女子修道院が運営してる学校に通ってる女の子でした。アイシュワリヤーの声には独自のスタイルがあってそれは役柄を通してかいま見れるものでした。アイシュワリヤーはあの映画のときそういう種類の女優だったです。彼女はあの映画の中ではことさら演技しようとはしてませんでした。そういうことが私には分かってきました。アイシュワリヤーが役者としてセリフを言うと、そのスタイルが出てくるんです。だから私はただ彼女の抑揚、彼女の横柄さ、彼女の品のないの声を模倣しました。けれども吹き替えが終わった後マニラトナム監督はこの役柄、カルパナという役柄に満足しました。
そうやって吹き替えしていると監督は私に「日を改めて来て欲しいんだがね」と言いました。マニラトナム監督は慎重に細心の注意を払う性格なんです。「もうひとつの役もダビングを頼みたいんだがね」。「どうして別の日なんですか」と私は訊ねました。「たぶん君の声は違ったように聞こえるだろうからね」。それは本当でした。私がまた別の日に行くとかれが言うには「君の声がいちばん柔らかく響くのは何時頃かな」。「午後3時ごろでしょう」と私は答えました。「オーケー、じゃ次は午後3時に来て」その時間に行くと監督は私に言いました。「いいかな。この役柄は非常に内気でちっぽけなおびえてる村の少女だよ」。そして「それをつかんで欲しい」と監督は言いました。そのとき私は監督の希望ならなんでもしましたから、かれはその声でもOKを出しました。私は二番目の役に選んでもらった時の方が一番目の時よりも嬉しかった。二番目の方がずっと難しい役だったからです。
映画の中でカルパナが「あの名前で私を呼ばないなら(ごめんなさい。私は一番目の役の名前を忘れてしまいました)ジープから飛び降りるわよ」と言って、実際飛び降りるシーンがありました。モーハンラルが「いや呼ばない」と言うので彼女は飛び降りるのです。このアイシュワリヤーが地面を転がる場面のところでマニラトナム監督は「実際に転がってくれ」と言うので私はそうしました。またこれは『ギータンジャリ』のために吹き替えをしていたときのことですが、クライマックスのシーンで…ここにはテルグ語が分かる人がたくさんいると思いますが、雨が激しく降っているなかでヒロインが「私とあなたとでは事情が違う。自分にどんな不幸が降りかかっても気にしないが、あなたには健やかで幸せであってほしい」と言うシーンがあったのを憶えている人もいるでしょう。しかしそれは雨の中です。そこで監督は「家でシャワーを浴びながら練習してください」と言うのです。シャワーの下に立って練習してじゅうぶん感じがつかめたと思いました。そこでスタジオに戻って…豪雨にしとどに濡れてるかのように演技しました。録音スタジオでそう言う風にして、それで好かったのです。
私が一人で走る場面があります、私は走って走って、そしてナーガルジュナの前に行って、言うのです。「愛しています」と。その時その声は、息を切らしているのように、同時にまた心からそう思ってはいないのように響かせねばなりませんでした。彼女は本当のところイタズラ心からそうしようとしているのですから。監督は言いました。「向こうまで走って戻って来て下さい」と。私は走って、戻って来て、そして言いました。「愛してます」と。このセリフには何も意味はありません。けれど『ギータンジャリ』の結末で、彼女が業病で床に臥しており、駅まで出かける場面があります。彼女はじつは死の床にあってとても深刻で重大な外科手術から逃げてきたところなのです。だから彼女はテルグ語で「私たち駆け落ちしましょう」を意味する「レチポダマ」と言うのです。その場面で監督は「言葉の湿り気があってはならない。セリフを言うときに唇が湿ってるみたいに。とても乾いた言葉でなければ」と言いました。だから私はその通りにしました。こんな風に「レチポダマ」と。分かりますか、この乾いた感じが。
これらはある種のテクニックです。特定の監督は私たちにそれをさせようとするのです。ダビング・アーティストとして、声優として、私は マニラトナムのような偉大な監督と仕事ができて幸運でした。ラーム・ゴパル・ヴァルマーの処女作『シヴァ』の時も、かれは私のところへやって来て頼みました。この映画で吹き替えすることに特に興味はありませんでしたが私は言いました、「映画を見せてください。それが本当にあなたの言うような作品なら…」そのときRGVは新人監督だったから私は余り気乗りしませんでした。「映画を見せてもらって、その役が気に入れば、吹き替えしましょう」。私は『シヴァ』の最初のリール2巻を見て、そして圧倒されました。私は「ぜひ吹き替えさせてください」と言いました。これが声優としての私の経験です。こうやって『追い詰めて遊べ』まで私はダビング・アーティストをやって来ましたが、この役割を楽しんできました。ご静聴ありがとうございます。
赤井
どうもありがとうございます。
こういうふうに説明をしてもらうとローヒニが出演した映画でどんな声で喋るのか俄然好奇心がわきますよね。そこで次に『ヴィルマンディ』 からの一シーンをお見せするのですが、その前に、優れたダビング・アーティストとは自分自身がその役を任せられているかのように情熱と感情を演じなければならないということを強調しておきたいのですが、間違いありませんね?
ローヒニ
そうです。その俳優の体の大きさにも合わせなければならないし、その人物がしゃべっている時の抑揚にも合わせる必要があります。その俳優と劇中の配役のボディランゲージにも配慮しなければなりません。シーンと、人々と話しているときの俳優本人のイントネーションと合わせるべきです。ここには実にさまざまな要素が加味されています。脚本家は登場人物の性格を作り出そうとする。カルパナの時のことを思い出してください。脚本家が性格づけしても監督は違ったように見る。女優は演技するときそこに別の何か、その女優特有のものを加味する。そして私が吹き替える段になると私はそれを全部取り入れるわけですが、間違いなく私だけの何かがそこに注入されています。そしてこれらの集合体が画面で結集するとなると、その登場人物の全体性というものがはっきり目立って現れるのです。もし誰かが「あの映画での貴女の吹き替えは素晴らしかったですね」と言ったならそれはダビング・アーティストとしての私には屈辱になります。登場人物の全体性が私の目指すところだからです。『ボンベイ』を見て誰がマニーシャ・コイララを吹き替えたのか分からなければ、それは私への褒め言葉になるのです。私の姿はスクリーン上には見えず、ダビング・アーティストの仕事を誰も褒めなくても、それは私にとって賛辞なのです。ほとんど顧みられることはないという意味では美術監督と同じです。『ヴィルマンディ』では最初は現地ロケをしようとしてマドゥライへ行きましたが、そこで監督をしていたカマル・ハーサンはトラブルに巻き込まれました。そこでチェンナイのスタジオにマドゥライの場面をオープンセットで組んだのです。美術監督は現地とそっくりにセットを作りましたがそれで何の賞を取ったわけでもありません。だってあまりにもそっくりだったんですもの!
赤井
ではここで2004年のタミル語映画『ヴィルマンディ』からの一場面をお見せしましょう。監督はカマル・ハーサンでした。これはまさしく映画の出だしの部分です。

[ビデオ](『ヴィルマンディ』冒頭のシーン)

ローヒニ、説明してもらえませんかね。こういう時の演技が…
ローヒニ
吹き替えするときとどんなふうに違うかということでしょうか。
赤井
はい。
ローヒニ
もちろんです。この場合、私はカメラの前にいるのですから、もっと自由でいられます。
念頭に置いておかなければならないの脚本家が書いた性格に合わせるということです。登場人物の女性はドキュメンタリーの映画作家で弁護士でもあります。極刑、つまり絞首刑ですが、それについてドキュメンタリーを撮っています。これには背景があります。この点が大事になってくるのは、インド映画が成立する以前の初期の頃には同時錄音、ライブサウンドとも言いますが、同録をしていたことと関係するからです。俳優は母語でセリフを言っていました。母語を喋れる役者しかいなくて、時には歌も歌いました。こういうのをライブサウンドと言います。ハリウッド映画は今でも全部そうやって撮っていますし、他の映画圏でもそうです。吹き替えはしません。映画が屋外で撮影するようになってからです。ご存知とは思いますが屋外ではなにやかやと邪魔されることが多いので、登場人物のセリフには吹き替えするようになったのです。そうすると時にはヒロインをボリウッドから呼んでくるようになった。日本の人たちはラジニカーントの『怒れる牡牛』 をご存知かもしれませんが、これにはラティという女優が出ています。この人はボリウッドから来ました。だから吹き替えが必要でした。マニーシャ・コイララであっても事情は同じです。このような状況で他言語話者の男優や女優が招かれた場合吹き替えが必要になったのです。けれども現在インド映画でも同録つまりライブサウンドへと復帰する流れが出てきています。『ヴィルマンディ』はライブサウンドで制作されました。公開間近の私の映画もライブサウンドで作りましたし、『OKカンマニ』のタイトルで知られる『愛の瞳よ』も同録ですね。
ニティヤ
『OKカンマニ』はやはりマニラトナム監督の映画で私が主演しました。全編を同録でやったんです。
ローヒニ
昨今のヒンディー語映画では十中八九ライブサウンドで、吹き替えがありません。ヒンディー語が喋れない俳優がいた場合にのみ吹き替えを使うのです。
赤井
どうもありがとうございます。
日本のような単純なダビング、リップ・シンクロナイゼーションだけでできているようなダビングはインドでは歓迎されないということがお分かりになったでしょう。
別言語での市場で受ける映画を作る方法がもうひとつあります。それは二言語バージョンを同時に制作することです。例えばタミル語とテルグ語と言ったような。この場合セットも筋も俳優もほぼ完全に同一にします。こういうのをバイリンガルと言います。
ローヒニ
そうですね。バイリンガルです。
赤井
一例を見ましょう。2011年に『180』というロマンチック・コメディがタミル・ナードゥとアーンドラ・プラデーシュで公開されました。ヒーローはシッダルダ、ヒロインはニティヤ・メーネンです。これは同じ映画を2つのバージョン、すなわち、テルグ語とタミル語のバージョンで同時作成したことを意味しますが、しかしダビング・アーティストは使っていません。シッダルタとニティヤは自分の声で、タミル語とテルグ語の両方のバージョンでセリフをしゃべりました。ここでタミル語バージョンとテルグ語バージョンからのまったく同一のシーンを抜き出してあります。今から見てみましょう。

(ビデオ)[『180』の一シーン]

これは同一ショットを違う言語用に二回撮ったということですね。どれだけ大変だった想像ができますね。ニティヤ、以前私に『180』の撮影でくたびれ切ったと話してくれたことがありましたね。バイリンガルの撮影について説明してくれませんか。現場ではどういうふうに撮影しているのでしょう。
ニティヤ
赤井先生、私は何年ぶりかにこれを見ました。本当に何年ぶりかです。私の声は全然違っています。まるで小さな子が喋ってるみたいです。本当に何年ぶりかだったので驚いています。たしかに私は何本もバイリンガルを経験しています。タミル語・テルグ語のバイリンガルです。この二つがいちばん市場が大きい映画界なのでタミル語・テルグ語になるのが普通です。バイリンガルに必ずテルグが入るというのはテルグ語映画が商業的に最大だからです。テルグの人はいつも映画を見ています。テルグの人はどんな映画だって見ます。だから商売になるのです。ビジネスの観点からすればテルグ語でも映画を作ろうとなるのです。だから映画を二本撮影することになります。撮影方法はですね、実際に完全に同一のシーンを平行して撮ったのです。例えばこの道路の場面ですが、実際の道路へ行きます。撮影班は「どっちを先にしたいかな?」と訊きます。「タミル語を先にしましょう」そこでシーン全体をタミル語で撮ります。こんな感じです。テイク、OK、カット、ショット、次テルグ語に行こう!皆でテルグ語の台本を見ます。テルグ語のセリフを頭に入れます。それでもう一度テルグ語でシーンを撮影します。そうです。どのシーンも二度撮影をしなければならないのです。俳優の立場から言うとこれはとても消耗します。特に感情的なシーンであったり、精力を使う場面であったなら。あるシーンの撮影が終われば、心を落ち着けて、はい終わりです。でもバイリンガルなら、そこからもう一度しなければなりません。しかも別々の言語でです。セリフを頭に入れてもう一度しないといけない。とても疲れます。経験上それが分かっています。
別言語で吹き替えることに関してひとつつけ加えたいことがあります。さっき赤井先生が言ってたように、もしアメリカ映画が日本へ来るなら、それを単純に日本語へ吹き替えて、つまり翻訳して、同じ意味内容を喋る。それで終わりですよね。他のことはする必要がない。でもインド映画で吹き替えをすると、似たように見せなければならないのです。例えばテルグの観客はタミル語映画なんかには関心なくテルグ語映画を見たいので、全部を変えなければならない。セッティング自体を変えるのです。例えば、タミル語映画での主役の男優がマドゥライ出身だという設定でヒロインがコインバトールの娘だとしましょう。画面の名前はそうなります。これでテルグ語バージョンを作ろうとするなら、主役はヴァイザグの男の子でヒロインはヴジャヤワーダ出身というような設定になります。そうすると撮影班はセッティングを変えるのです。それはどこから見てもテルグ語映画のように見えるようにするためです。先ほどのシーンを注意して見ていれば気づくはずですが、バイクが出てきましたよね、私の乗っていた。あのバイクのナンバープレートまで変えていたんです。最初のタミル語バージョンではTNつまりタミル・ナードゥ州のナンバープレートが付いました。こういう調子でショット全部を撮ってそれを見て確認します。このショットはOK、次のショットも大丈夫…という具合に。次はテルグ語バージョンだとなると係がわらわらと出てきてナンバープレートをAPつまりアーンドラ・プラデーシュ州のに取り換えるんです。それから撮影が始まります。こんな風にインド映画ではセッティング自体を変えてしまう。単純な吹き替えではないんです。全部をこれはタミル語映画に、あれはテルグ語映画に見えるように変えてしまうのがダビングなんです。インド映画の環境ではそのように似たように見せる必要がある。でないと観客はそっぽを向いてしまう。人々はこの配役はアーンドラ・プラデーシュ州のであの配役はタミル・ナードゥ州のだ、だからこれはタミル・ナードゥ州で起こってることなんだと知りたがります。それを知る必要があるんです。
赤井
ありがとうございます。私が言語の相違と映画産業との関係についてこのように長々と論じた理由は、女優にもしもし十分な才能が備わっているなら、言語の州境を易々と横断してゆき、同様に映画産業を分けている境界をも渡っていけるということを強調したいからなのです。男優の場合、特にヒーローの場合は状況はまったく逆になります。映画界にはそれぞれ独自にヒーロー集団の階層があって、スーパースターを頂点としたピラミッドを形成しています。ラジニカーントはタミル映画界のピラミッドの頂点にいて最下層には新顔のヒーローがたくさんいます。このピラミッド内で階層のはしごを登るために過酷な競争が日夜行われているのです。けれどもいったんある水準にまで達したら、ヒーローの寿命はヒロインより長いのです。これはインド映画が非常にヒーロー中心主義であるためです。あるいは映画はヒーローの行動を語るためだけに作られていると言えるでしょう。その意味ではヒロインはただ主役男優のヒロイズムを強調するための、敢えて言えば一種の装飾として、男優に付随しているだけなのです。映画ファンにどれほど愛されていようとも、女優はヒーローとは決して等しく取り扱われません。いとも簡単に他の女優に首をすげ替えられますし、特に年齢を重ねた場合にはこの傾向が著しい。女優の寿命はヒーローより短いです。それがインドの映画の定式であり、そしてこの定式は非常に強靭です。
しかしながら、ヒロインにはヒーローが持つことができない有利な点があります。もしローヒニとニティヤのようにすばらしい才能があるなら、女優は映画界の言語の境界を超越して、より予算規模の大きい高い位置を獲得することができるのです。これとは逆にヒーローはかれ自身の言語の世界に縛られています。小規模映画界で働いていたヒーローが成長して、より規模の大きい映画界の中に飛び込む。このような事例にこれまでに一度も接したことがありません。そんな事例はないのです。それはなぜか。ヒーローは自分自身とかれの映画界が属する言語を話さなくてはならないからです、そしてかれの声にはダビングは許されません。ある意味で、ヒーローの声は各言語の共同体、タミル人、アーンドラ人、マラヤーラム人、カンナダ人と呼ばれる人種を象徴しているのです。だからこそそれは置き換えられてはならないのです。これは映画のヒーローがなぜそれぞれの映画界に必要であるかの理由です。ヒーローは輝かしく常に映画の中心に存在しますが、かれは自身の映画界という檻の中の囚人なのです。けれどもヒロインはこのような制約がありません。言語の境界を逸脱することは女優が用いることができる巧妙な戦術です。そしてこのような行動パターンにこそ彼女たちの女性性が具現されていると解釈できるのです。
これで私の長い、長いイントロダクション終わりです。次にゲストとのディスカッションに入って何が銀幕の背後で起きているか明らかにしたいと思います。
5分の休憩時間をとります。後半の開始は2時4分からです。

(休憩時間)

では、まずは映画の撮影現場をご覧下さい。このスライドはニティヤからもらった写真で作ったものです。全部彼女の最近の出演作品です。
ニティヤ
これは私が出演した映画にアフレコをしているところです。
赤井
どの映画ですか。
ニティヤ
『OKカンマニ』です。
赤井
これは『帰る日はまだ来ない』ですか?
ニティヤ
そうです。
赤井
今スクリーンに映しているのは最近ニティヤが出演した映画のタイトルです。こちらはすでに今年公開済です。ほかの映画はもうすぐリリースされます。
ニティヤ
『ムニ3』が抜けてますね。
赤井
あれはもう公開ですか?
ニティヤ
はい4月2日公開です。これはタミル語です。前に出てるリストをご覧になればお分かりでしょうが、私は今年テルグ語映画3本、タミル語映画2本、マラヤーラム語映画1本に出ました。3つの違った言語の映画に出演したわけです。
かれはテルグ語映画『帰る日はまだ来ない』のカメラマンです。そしてこの人は撮影監督です。これは『ルドラマデーヴィ』でアヌーシュカ・シェッティと一緒のところです。男装していますが彼女がアヌーシュカです。
かれ、プカーシュラージです。みなさんご存知でしょう。マニラトナム監督の『OKカンマニ』で共演しています。
この人は私が出演したテルグ語映画『サティヤムールティの息子』の監督のトリヴィクラムです。
これはさっきも出てきましたが撮影監督のババです。ヴァイザグで撮影しているところです。前に見えるのは移動カメラ用のレールです。これはソングのシーンを撮影しているところで、ジミー・ジブという巨大なクレーンで吊っているカメラが私の頭上に見えますね。「それちょうだい」と頼んでカメラを降ろしてもらい触ってるところです。ちょっとふざけて遊んでいるんです。
これはヴァイザグの撮影現場での誕生日を祝ってもらってるところです。テルグ語映画『帰る日はまだ来ない』の撮影です。撮影班が全員いますね。主演のサルワナンドゥがいますね。ふざけて私の顔にケーキをおしつけようとしている。右下にいるのが撮影チームのトップである監督です。
これは映画『愛の百日間』の撮影班です。監督のジェヌース・モハメッドとはとても親しいですね。ところでこの映画は昨日から公開されています。これはマラヤーラム語映画です。とても好評です。監督の隣にいるのが主演男優のドゥルカル・サルマーンです。その隣は撮影監督のプラデーシュ・ヴァルマです。
赤井
この監督はあの有名な監督の息子さんですね。
ニティヤ
そう、カマル監督の息子です。これはまた撮影現場の写真です。私たちはポンディシェリでソングのシーンを撮影していました。撮影したシーンを確認しにモニタを覗いてるところ。ほら、すぐ横がコレオグラファーのスワルナ、 監督、カメラマンがいて、後ろにチーム全員が写っています。
赤井
ありがとうございます。このスライドをご覧になっていかに男性スタッフの割合が多いかが分かったでしょう。 ここに写っている女性はコレオグラファーひとりしかいません。 映画の撮影は幾つもの部門に細分化されています。例えば、セット、ライティング、キャメラ、そしてこれは意外と重要なんですが、スタッフに食事を供給するケータリングの部門があります。ご存知の方もいると思いますが「ファイティング」と呼ばれる擬闘を撮るためのチームがあってこれは「ファイティング・マスター」が統括しており、容易に想像がつくでしょうが男性ばかりの部門です。一方で女性が出来るのはヘアーと衣装デザインです。一例がこの人、エカ・ラカニ、有名な衣装デザイナーです。ニティヤとは…
ニティヤ
マニラトナム監督の『OKカンマニ』で一緒に仕事しました。
赤井
この映画の主演は…
ニティヤ
ドゥルカル・サルマーンと私です。写真にわたしたちが写っていますね。中央はエカです、私たちは親友です。
赤井
女性がコレオグラフをすることも可能です。この人は…
ニティヤ
彼女がスワルナです。
赤井
問題はメイクアップ・アーティストが映画製作の部門と認められてないということです。 この記事を見てみましょう。 これはインドの最高裁判所が女性メイクアップ・アーティストの解禁を命じたというBBCニュースの報道です。ムンバイ在住のメイクアップ・アーティストでチャルー・クラナという女性がいます。 この女性は1902年にCCMAAが60年前に定めた女性メイクアップ・アーティストの労働組合への参加禁止規則を違法だとして訴訟しました。 CCMAA はCine Costume Make-up Artists and Hairdressers Association(映画界の衣装、メイク、ヘアドレッシング技術者連盟)のことです。この連盟、つまりは労働組合なんですが、一部門が女性が連盟に加盟することを禁じていました。過去にもこの規則が男女平等の原則に反するとしてインド最高裁に訴えた女性たちがいました。女性であるというだけで、どんなにメイクの技術と才能があっても、組合から認可を得ることができず映画界で働けないのです。その認可は「カード」と呼ばれています。
ニティヤ
映画界ではすべての部門が組合のカードを持っています。どの部門でも組合があります。 ライティング、メイク、ヘアーなど。美術や監督、機械系技術者、どんなものにも労働組合があります。どの部門でも映画界で働くためには自分達の組合のカードを持つ必要があります。 カードなしでは働くことができません。 そういう状況下でメイクの組合は女性のメイクアップ・アーティストにこのカードを出さなかったのです。つまり、女性であるというだけで、その意思があっても、カードなしでは彼女は映画の仕事をすることはできないのです。
赤井
ありがとうございます。もうひとり著名なメイクアップ・アーティストとしてバヌーがいますが、この点については後ほど ローヒニから説明していただきますが、まずはバヌーの働きぶりの一例を見てみましょう。

[ビデオ]『ボス、その男シヴァージ』で色黒のシヴァージがメイクで肌を白くするシーン

こういう風に肌を白くできたのはこの女性メイクのバヌーの功績であったと聞いたのですが、どうでしょうか?
ニティヤ
バヌーは『180』でも私のメイクをしました。皆さんが先ほど見たシーン、つまり同一シーンをタミル語とテルグ語と2つの言語で撮ってる私がバイクに乗っていたあの映画でも私のメイクを担当しています。
赤井
基本的に言えば、彼女は以前は映画界で働けなかったはずなんですよね?
ローヒニ
そうです。さっきの『ボス、その男シヴァージ』のシーン、あれは一部はメイクアップで一部はCGなんです。 けれどもバヌーはとても腕の良いメイクアップ・アーティストなんです。バヌーがすごい才能の持ち主だというのがはっきりと分かったのは、ラジニカーントが二役をした『ロボット』ででした。あの映画ではラジニのロボット役では肌がプラスチックでできているように見えなければならなかったわけですが、彼女は見事にそのメイクをしました。他にもたくさんの映画で仕事をしています。例えばモーハンラルの映画でも長髪がナチュラルに見えるように、素晴らしい仕事をしています。
以前は、組合がメイクのカードを発行するのを拒んだので彼女は映画業界で働くことができませんでした。だからやむなく結婚写真やCMの仕事をしてました。その業界ではひっぱりだこでしたよ。そこにラジニとシャンカル監督がやってきて「私たちはあなたがカードを持っていなくても構わない。どうか私たちの映画に参加してほしい」と言ったんです。 そんな経緯で『ボス、その男シヴァージ』に参加することになったんです。多くの有名な俳優や監督が、カードがないということを気にせずに彼女を採用したのです。けれどあの訴訟が最高裁まで上告されて禁止令撤廃の最高裁判決が出てからはバヌーは大手を振って映画界で働けるようになりました。これはごく最近のことで、権利確保のために闘争が必要だった。実際、人権委員会がチェンナイへ調査に来たとき私は意見を求められたのでこう言いました。「彼女は非常に優秀なメイクアップ・アーティストです。彼女にはカードを発行すべきです。これはこの職業に就いている他のすべての女性メイクアップ・アーティストたちにとって、ほんの始まりに過ぎません。」人権委員会の委員は私たち全員から話を聞き、禁止令は撤廃されたんです。
赤井
ありがとうございます。 お分かりのように今でも映画業界の裏側では男性優位の原則が一貫しています。監督の部門ではどうでしょう? 女性監督はどうでしょうか? 残念ですがアパルナ・セーン、ミーラ・ナーイル、ガウリ・シンディのようなボリウッドの著名女性監督について論じる時間がありません。ガウリ・シンディは代表作『マダム・イン・ニューヨーク』(2012)が公開されたので日本でも知名度が高いです。
プロの女性監督の数は非常に少なく、そのうちの何人かは女優から監督へ転身した人です。 かつて女優として活躍し、その後監督となったということです。 ローヒニは元俳優で現在は監督をされています。 それでは、ローヒニの監督作品に話題を転じることにしましょう。 まず最初にあれを見せましょうか?
ローヒニ
『お父さんのヒゲ』 について話をして、そのあと…
赤井
そうしましょう。
ローヒニ
実際のところ女性が映画監督をしようとするときに、そこに特殊な事情があると感じることがあります。女性監督が出資者をつかまえるチャンスはほんのわずかです。というのも女性監督にはインド人の求めるアクション中心の映画を撮ることができないとプロデューサーが考えているからです。だからあのひとたちは、私たち女性監督は例えばアパルナ・セーンが監督した映画『アイヤール氏とアイヤール夫人』のような、恋愛中心でちょっぴり芸術映画風のソフトな作品しか撮れないと思い込んでいるのです。
近年、わずか数名ですがその神話を崩した女性監督がいます。1人はヒンディー語映画監の督ファラ・カーンです。彼女は平行映画だけでなくCM監督としても活動しています。神話を崩したと私が思えるもう一人は私の友人ナンディニ・レッディで彼女はテルグ語映画『こんな風に始まった』でその殻を破りました。
しかしこの二人の業績よりもっと大きなことを成し遂げる才能の持ち主がアンジャリ・メーノーンで、マラヤーラム語映画では非常に著名な映画監督です。アンジャリは『ウスタッド・ホテル』のようなヒット作の脚本を担当してきました。またたいへん美しい物語『幸福の赤い木の実』を監督し、ヒットに結びつけました。次には『バンガロールの日々』を撮りましたがこれもヒットしてサウスの全言語でリメイクされました。これは監督が得ることができる大きな栄誉です。というのもリメイクされるということはそれが本当に皆の心に訴えかける映画であるということを意味するからです。だから私はアンジャリ・メーノーンを、私のような映画製作者のためにすべての壁を崩した人として高く称賛しているのです。
他の例としてはスハーシニ・マニラトナムは『インディラ』を撮ってますし、私の友人であるレーヴァティは『わが友ミティル』を監督しています。そして次に私が映画を撮りました。
私個人としては映画には多くのリアリズムをもたせるべきだと思っています。もちろん『シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦〜花嫁は僕の胸に』のようなタイプの映画は楽しいですし、個人的にはそのような映画を撮りたいという思いがあります。しかし、監督として、女優として、社会意識をそなえた人間として、公人として考えた時に、私には社会的責任が伴うと思っています。これは私の人生だけではなく仕事においても明白なことです。今撮っている映画ではこうした個人としての私という感覚が際立ってきているように思います。これが最も重要なことです。ヒロインとして特定の傾向のある映画を選んで出演してきましたが、性格俳優として出る場合もやはり特定の傾向があり、作詞家として映画に参加する場合でも同様のことが言えます。
私は今、アッパヴィン・メーサイこれはお父さんのヒゲという意味ですが、そういうタイトルの映画を撮っています。これは実際に起こった2つの事件から題材を採った映画ですが、私の親しい友人ニティヤ・メーネンが主役を演じています。彼女のような女優が出てくれてとても幸運でした。なぜならニティヤのような俳優が映画に深くかかわってくれることは、監督としてとても恵まれているからです。監督は私で、プロデュースは監督として知られるチェーランです。マラヤーラム語映画で非常に有名なサリム・クマールも出演します。かれの出演作はアカデミー賞にノミネートされました。技術チームも素晴らしく、アカデミー賞受賞作のサウンド・デザインを行ったレーサル・プークッティや、ナショナル・ジオグラフィックの撮影監督であるアルフォンス・ローイがいます。
それでは『お父さんのヒゲ』の予告編を皆さんにご覧いただきましょう。実はニティヤもこれを見るのは初めてなんですよ。

[ビデオ]『お父さんのヒゲ』の予告編。赤井教授から世界初の上映であるという説明がある)
赤井
ありがとうございました。ところでローヒニ 、この映画は最初にフランスで上映されるのでしたっけね?
ローヒニ
はい。この映画はフランスで配給され公開予定です。もちろん他の国々も同じくこの映画の上映とDVD化に興味を持ってくれています。実は映画製作者としての私の経歴は短編映画とドキュメンタリーを制作することから始まりました。私が作ったドキュメンタリーは子役のことを題材としています。その理由として私自身が5歳の時に子役として映画業界に入ったということがあります。私は『沈黙の色調』という業界の内部を描いたドキュメンタリーを制作しました。この映画は子役が午前3時から夜8時まで長時間働かされている姿をリアルに描いています。 かれらの賃金は1日に300ルピー程度で、そこから20ルピーがエージェントのコミッションとして引かれます。非常に給与が良い子役でも同じことが行われており、子供は自分について何がおこっているのか理解していません。だからそのドキュメンタリー映画に私の考えを込めたのです。
インドの映画産業で子供や子役がどのような扱いを受けているかを私は知ってほしかったのです。それは映画製作者として私にとって、伝えたいものを観客に届けることができるのかという一種のリハーサルのようなものでした。この映画は、ロサンゼルス・フィルムフェスティバルやフランスやその他多くの映画祭で上演されました。 そして今、私は初の商業映画を手がけていますが、二、三ヶ月後に公開できるようになるはずです。
興味深いことに、多くの俳優が演技の他に別のことに手を染めています。ニティヤは俳優というだけでなく歌手でもあります。彼女の歌の上手さは広く知れ渡っていると思いますし、私の映画でも歌っています。実ははじめ、彼女は私に演技よりも歌うことが好きだと教えてくれました。そして興味深いことに、彼女は短編映画を制作したいと思っています。 そのことを話してくれませんか?
ニティヤ
ほんの偶々だったのです。私は赤井先生に実に色々のことをいろいろなことを話していて−−実際私はお喋りな方です。それでですね、私がこれを思いついたのはちょうどローヒニが先ほど述べた私の最初のテルグ語映画『こんな風に始まった』を撮っていた時のことでした。これは女性監督ナンディニ・レッディの作品です。偶然にではありますが、私は多くの女性監督と組んで仕事をしてきています。私はアンジャリ・メーノーンとは『ウスタッド・ホテル』と『バンガロールの日々』で一緒だった。アンジャリは彼女の全部の映画に出て欲しいと言っています。 私はローヒニ 、ナンディニ、 シュリープリヤー、 アンジャナ・アリ・カーン(これは『熱波』に出演したときです)といった多くの女性監督と仕事をした経験があります。
『こんな風に始まった』を撮っていた時に私はナンディニの家に滞在していました。そこのバルコニーからは大きなムスリムのスラムが見えました。そのバルコニーに立ってそのスラムがすぐ近くに見えることが分かると、とても興味を惹かれました。こちらからはそのスラムが見渡せるのに向うからは最上階に居る私のことが見えません。それで私はそこで何が起こっているかをよく見ていました。スラムではたびたび喧嘩があり、何が原因で言い争っているのか聞くことができたのです。バルコニーに立ってスラムを眺めているその時に突然映画のアイデアを思いついたのです。スラムの若者が私が立って眺めていたのと同じようなマンションの窓に娘を見ます。青年は窓から見える娘に強く心を惹かれ恋に落ちます。娘は踊り子でダンスの練習をしているところがカーテン越しに見えるのです。
これは私の思いつきに過ぎません。それで私が映画を作れるかどうかなんて全くわかりませんが、私の思いついたことをたくさんメモにして書きます。もし実現したなら、皆さんは私のアイデアを最初に共有したことになります。私の考えたアイデアですから、皆さんどうかここだけの秘密にして下さいね。それも赤井先生が話して欲しいと言ったからです。赤井さんがいうには…
赤井
出資してくれる人がここで見つかるかもしれませんからね。
ローヒニ
映画はこのようにして出来ます。体験が元になって始まるのです。そして次にですが、私は遺伝子組み換え技術に反対するドキュメンタリー映画をプロデュースしました。タイトルは『カティレーカー』というのですが、ええとどう言ったらいいでしょうか。
ニティヤ
遺伝子組み換えナスですね。それは遺伝子を改造して作られたナスで、健康を害するものです。ローヒニはそれを禁止しようとしてドキュメンタリーを制作しました。
ローヒニ
2010年にこの運動がありました。 企業がインドに遺伝子組み換え技術を取り入れようとしたので、社会活動家、医者、弁護士、俳優、歌手といった同じ志を持つ皆が集まって、遺伝子組み換え技術など必要ないと宣言しました。私たちがこう言うのは消費者としての立場からですが、同時に著名人としても世間にこの問題についての認識を広めようとするのは当然のことです。運動を前進させるために遺伝子組換え作物について映画を作ろうと提案して、この『カティレーカー』という映画をプロデュースしました。そしていろいろな場所でこれを上映しました。農家の人もたくさん観に来てくれました。2010年1月に、我々は当時のタミル・ナードゥ州首相だったカルナーニディに面会しました。会見は朝の10時だったのですが、私たちは皮肉を効かして最上質のナスを携えていきました。というのもカルナーニディの大好物がナスだと知っていたからです。それを土産に渡して私たちはこう言いました。「遺伝子組み換え技術がこの州に入ってきたら貴方はもうこれが食べられなくなるのですよ。どうか今のうちに食べて下さい」。皮肉でしたが的は突いていました。朝の10時という時間であったのに州首相を説得できました。無論カルナーニディは遺伝子組み換え技術に関する書類を全部受け取りました。4時になってかれはこう言いました。「中央政府が許可しない限り、遺伝子組み換え技術はタミル・ナードゥ州で受け入れられることはありません」と。それは一致団結することで達成できた成功でした。同じくこの問題に関わってきた監督のヴァサント、歌手のTM・クリシュナン、ダンサーのチトラ・ヴィスウェースワラン、その他多くの人々のおかげです。私が言いたいのは簡単です。、信念があってある外来の技術が取って代わるのを望まないなら、それに敢然と抵抗しはっきりと反対を口にしなければならないということです。それが何であっても、あなたたちの声は届くでしょう。 私はそれを成し遂げたことが非常にうれしいのです。そして私は決して遺伝子組み換え技術がインドに入ることを許しません。あの時もそう言ったのですから、ここでも同じように言っておきます。
そういうことで、ドキュメンタリー映画についてお話しする理由はドキュメンタリー映画が映画製作においても、非常に重要な一部分だからです。インドには、非常に有名な映画製作のパターンとして、商業映画があります。この映画が語るのはヒーローと勝者だけです。観客の視線はそこにだけ集められます。そういう映画は人々が今も苦境に陥っているような現実を映し出してはいません。独立以前には、ドキュメンタリーがありましたが、それはイギリス政府がおのれのイデオロギーを宣伝するためものばかりでした。独立後、好きなように多くのドキュメンタリーを製作する自由が与えられたので、現実的な状況を記録・映像化することができるようになりました。しかし独立後であっても多くの監督はドキュメンタリーを撮ることができませんでした。なぜならインド政府は人々に我々が最善を尽くしている、だから仕方ないと言おうとしていたからです。そして戒厳令が導入されました。戒厳令時代には多くのドキュメンタリーが禁止されましたが、たいがいは左翼作家によって撮られたものです。それでもなおドキュメンタリーはインド市民の意識を高めるために、非常に重要な役割を担っているといえます。私たちは皆ドキュメンタリー映画祭を見ます。あるいはここでのように上映される作品もあるし、かりに上映が禁止された作品でもユーチューブで見ることができるものもあります。というわけで、映画界のこちら側では運動があって、それは真剣で現実的で、すべてを現実的に見ることだけで成り立っています。これは映画製作者の能力を用いるひとつの方法でもあります。これに関しては後でさらに詳しく述べたいと思います。
赤井先生、これについて何かを付け加えることはありますか?
赤井
そろそろ議論は核心に入ってきましたね。映画は娯楽のために過ぎないというひとつの考え方があるのは間違いないのですが、それは必ずしも正しいとは言えないのです。別の観点から見ると、映画は人々に社会的な問題へ意識を向けさせることができる非常に有用なメディアなのです。
では次に皆さんにこの写真をお見せしましょう。これはローヒニの社会活動家としての一面を示す写真です。皆さん、彼女が持っているプラカードの上に何と書いてあるか読めますか?「レイプ犯に絞首刑を」と書いてあるのです。これは2012年12月16日に起きたある悲劇的な殺人事件がきっかけとなっています。この日、デリーで23歳の物理療法士のインターンがバスの中で輪姦され、ボーイフレンドと一緒に惨殺されました。この事件はレイプ犯罪に対して全国的な抗議運動を引き起こしました。インドではレイプは頻繁に起こっているにもかかわらず世間的には軽く受け止められていたのですね。そして「レイプ犯に絞首刑を」を呼びかける抗議集会が複数の大都市で開かれましたがその中にはチェンナイも含まれています。これはチェンナイですよね?
ローヒニ
そうです。
赤井
抗議集会が開かれた経緯について説明してもらえませんか?
ローヒニ
ニティヤ、あれがどれほど重要であるか言ってくれますか?その結果何が起こったか。
ニティヤ
一見特異に見えるこの事件がインドで起こって何が明らかになったかといえば、従来からこのようなレイプ事件は決して珍しいわけではなかったということでした。田舎には限らないけど特に田舎では頻繁に起こっていて、日常茶飯事と言っても言い過ぎではありません。けれどもこの事件は突然この国に革命を起こしました。今まで見たことのないような出来事です。人々は腹を立てました。女性も腹を立てました。あまりに立腹したものだから全員が公衆の場に出てきて、まさにこれ、つまり「レイプ犯に絞首刑を」を要求しました。多くの男性も女性を支持するために出てきてこう言いました。「こんなことはあってはならない。男女平等と女性の保護を要求する」。たぶん長いこと見えないところで起こってきたことなのでしょうが、この特異な事件は現在のインドにとってとんでもなく重要です。なぜならこれは、突如として人々の心を揺り起こし、注意を向けさせ「一体なにがここで起こっているのだ?こんなことはあってはならない。」と言わせたからです。多くの人々が共に集まり政治的な革命のようなことをこの国ではじめたのです。
ローヒニ
2012年12月16日に起きたことはとても不幸なことだと言えるでしょう。しかし、その後2つの大きな出来事が起こりました。皆が戦い始めたのです。以前はそれはフェミニストにとっての戦いでした。12月16日以降、それは人類の戦いになりました。私の知り合いの男性全員が「こんなことを二度と起こさせてはならない」と言いました。全てはあの事件がきっかけだったのです。
最近BBCのドキュメンタリーが放送されて、そしてインド国内では放映禁止になりました。私たちが皆に向かって言いたかったことはものの考え方なのです。事件のうわべだけを見流だけでなく、何がある種の人々にこのような行動をさせているかという深いところを見ないとだめです。そうした考え方があるから、3歳の幼女でも70歳の尼さんでも強姦できるようになるのです。こうした男性は考え方に何か悪いところがあるのです。すべての男性がそのような人間ではありません。私には4人の兄弟がおり男性優位の家庭で育ちましたが、全員がそのような考え方を持っているわけではありません。けれどもこのような事件は後を絶ちません。男性なら弱者を力で支配してこのような卑劣な犯罪を起こしてもいいとする考え方はどのようにして育つのでしょうか。つまり、そのような人たちが育った社会的かつ経済的な環境や、何がこの人たちの性衝動を抑圧しているのか、そして何がかれらをこのような行動に走らせるものについて考えなければなりません。私たちはそれを臨床的な見地から見なければなりません。
このニルバヤの事件がBBCで放送された時、放送禁止になりました。けれども禁止される前に、私はみんながそれを見たに違いないと思います。みなさん見られましたか? 何人の方が見たでしょうか?私は皆さんがそれを見て、学識のある弁護士の考え方と私たちの考え方は全く異なっているということが理解できたのではないかと思います。私たちがまさに今、目を向けなければならないのはその考え方です。このニルバヤ事件は単に皆を性的暴行に対して戦わせただけではありません。BBCのドキュメンタリーは日々の生活の中で私たちが対面するその考え方が何であるかを考えさせるきっかけとなりました。本日午後のディスカッションの中でこれがなぜ重要であるかというと、それはヒーローとヒロインのいる映画産業でもたとえレベルは違っても同じような考え方に向き合っているからです。どう見てもヒロインの方が重要な役柄を演じているのに主演男優の報酬のほうがより多いのです。同じような例を挙げると、美容師も男性よりも女性の収入の方が少ないと言えます。常にどの職業でも、建設現場ですら男性の8時間労働の収入のほうが多く女性の方が少ないのです。種類は問いません。ソフトウェア、IT産業でも、女性の賃金は間違いなく男性より低のです。
女性を男性より低く見ているこの考え方は何でしょうか?映画業界だけではなくあらゆる世界で常識的に考えて男女は平等でなければいけないのではないでしょうか? 映画界ではこんな調子です。現場に行ってみると、はいギャラはこれだけね、でもあの役はやれない、重要な役はヒーローにとっておかなきゃ、ヒーローが一番出番の多いのは当たり前、こんな具合です。今日、少なくともインドでは脚本家が女性を中心においた映画の脚本を書ける環境にあります。ハリウッドですら映画を撮るならいつも男性中心の話になります。だから女性より男性をより優先するこの集団意識の考え方は何なのか、この問題について今日のディスカッションの終りに当たって皆さんにもっと関心を持っていただきたいのです。もし皆さんがそのことについて考え、何か行動を起こすなら、ここへきて長い時間を皆さんと過ごしたことは意味があったことだと思います。私たちはここで科学的に物事を見て、映画界や社会を改善していかなければならないのです。
この点について質問のある人は…おやおや話の締めくくりは赤井先生にお願いするべきでしたね。
赤井
いや、私の代わりにやってもらってお礼を言おうとしていたところですよ。
ローヒニ
すみません!しゃべり過ぎましたね。
赤井
皆さん、来賓講演者お二方が共に男性優位社会のもたらす弊害についてとても博識であることをおわかりいただけたと思います。しかしお二方ともインド映画のこの形式、つまりヒーロー中心の映画作りを評価してはいますよね。このような形式を否定するか、あるいは壊したいと思いますか?
ニティヤ
個人的にですが私はその形式がそれほど好きではありません。でも他に選択肢が無いのです。私はインド映画の中にソングがあるのも好きではありません。むろん赤井先生はインド映画のソングのファンだから私がそう言うのを好まないでしょうね。だってお好きでしょうソングが。ほら好きだと言ってます。だからかれには気に入らないでしょうが、私がソングが好きでないのは確かなのです。
ローヒニ
でもインドから外へ出れば、インド人以外の人々が我々の映画のその部分、歌とダンスとインド映画特有の色彩豊かな映像を好きになって当然と思います。それはそれでいいのではないでしょうか。ただ技芸として称賛しているのですから。その技芸は口唱伝統に由来しているだけなのです。
ニティヤ
でもここと一言いっておかねばならないのは、ローヒニの映画ですが、皆さんが先ほど予告編でお聞きになったソングは、実に素晴らしい、鳥肌が立つほどです。私はソングそのものを問題視しているのではありません。いけないのは、何の脈略もなく踊りや歌をやみくもに取り入れるという商業的な形式なんです。問題はそれなんです。歌舞音曲がいけないというわけじゃないんです。例えばローヒニ『お父さんのヒゲ』でもソングはあります。ローヒニがそう望んだからですが、ソングはどれも映画の中に調和して収まっています。どうやってローヒニがこれをしたかというとそういう風に主役を造形したからです。この映画の主な登場人物は舞台に出るクートゥの芸人です。一種の民衆芸能ですから歌ったり踊ったりして当然なのです。だから映画の中の音楽は民衆芸能風でたいへん美しい。私は大好きです。
ローヒニ
それがまさに私が同じくここで言おうとしていたことです。そして赤井先生も言おうとしていましたが、このようにしてこの男性優位の映画産業で私たちは足跡を残してきたのです。ごめんなさい。また話を取ってしまいましたかね。
赤井
どうか結論をお願いします。
ローヒニ
いえ、どうぞそちらの話を続けてください。
赤井
私が聞きたかったのは、もしあなたがたがこの映画における根強い形式を全面的に否定しないなら、あなた自身の女性らしさを表現する聡明な戦略があるはずですよね。それが何なのかを伺いたいのです。
ニティヤ
あなたにまかせます!
ローヒニ
これは最初から言ってることですが、俳優としてまた声優としてどんな映画を選んだかという行為そのものが私とは誰かを語っているのです。その私が映画製作者となり、どんな問題について意見を表明するのか、何に感銘を受けたか、それについて話す必要が生じたときに、私はただそれを表現しただけです。私がこの先映画を撮り続けるとすれば映画は確実に私にとってとても大事なものとなるでしょう。そのように、私は皆が個性的で、変わらず個人的であることができるなら、それは誰の目にもはっきりととまるでしょう。自分の立場をはっきりと表明するでしょう。そう、映画はそのような皆のための存在であると思います。『シャー・ルク・カーンのDDLJラブゲット大作戦』のような映画を見るのも楽しいですが、同時に社会的に責任を持った人間として、私は自分の選択したこの道を歩くのです - 以上!
赤井
ありがとうございます。
ローヒニ
ありがとうございます!
赤井
ではニティヤ 、何か一言お願いします。
ニティヤ
この場所で皆さんは赤井先生の口から映画界がどれほど男性優位の場所であるか、そしてヒロインが多くの場合ほとんどお飾り的な存在であるかということをお聞きになりましたが、それはすべて真実なのです。それは一般的に広まっている状況です。私は役者を始めたとき女優になろうなんて少しも考えていませんでした。仕組んで女優になったのではありません。有名になどなりなくなかったのです。お金なんて欲しくなかった。そうなったことは運命だったと信じています。私は女優になることに対してそれほど願望も興味も抱かなかったので、自分で選んだ場所にいることができました。女優願望などなかったのです。だから納得できるオファーしか受けませんでした。そうした願望がなかったからこそ優れた映画に出演するという恩恵に恵まれたに違いありません。もし明日出演する映画がなくなったとしても全然平気です。別にパニックになったりもしませんし、だいいち私はそういう観点からは自分を売り込むことはしません。これまで私は自分にとって意味のある映画を選んできました。私の演じる役は何らかの意味を持っていなければならないのです。その映画は私が演技と熱情を注ぐのに値するものでなければならないのです。
そもそも私は最初から、初演だけでなく二本目三本目の映画ですら、自分から映画を選びました。有名どころの監督からの誘いにノーと言いましたが、これまで誰もそんな光景は見たことがなかったので物議をかもしたのも一度や二度ではありません。その頃は女優が例えばテルグ語映画の大物俳優との共演を嫌だというなんて前例がなかったのです。とても大物です。私はそういう俳優が好きですし、その人たちの映画も喜んで見ます。でもそうした既製品の一部にはなりたくなかったのです。オファーされた役柄は私にとって何の意味もありませんでした。だから私は嫌だと言ったんです。何人もの大物監督やプロデューサーにノーを言いました。そこで皆が怪しみ出したんです。これは一体なんだろうと。かれらは私が何者か分からないんです。だからこそ私は一度でも心から自分は女優になりたかったと口にしたことはないんです。
私は平気です。私は冷静ですし、落ち着いています。直感に従って選び、出演したいと思ったならどんな映画も出ます。それは私の遣り方です。私が最初にテルグ語映画で仕事を始めた頃テルグ語映画は完全に商業的だというので有名でした。もちろんマラヤーラム語映画はより芸術的でより内容重視であるとの評判でした。テルグ語映画がどうしてそうだったかといえばテルグの人たちは誰でも、どの家庭でも皆映画を見ます。家族で映画を見に行きます。だから映画は大衆のために作られます。膨大な数の人が映画を見ますが、そうした人は様々に異なった社会経済的な背景の持ち主なのです。マラヤーラム語映画はそうではありません。マラヤーラム人は皆が映画を見に行くわけではなく、特定の観客しかいなくて、その人たち向きに映画が作られているのです。これが基本的な違いです。
けれども私がテルグ語映画に出演し始めた時、私は女優がお飾り以上のものになれる可能性があるということを言いたかったのです。人々が女優を見て、「なんてセクシーなんだ」とか「あの腰回りを見たか」とかではなく「彼女は素晴らしい女優だ」と言えるんだということです。自分が知性をそなえた一個の人間なんだと証明したかったんです。私はお飾りではありません。私は優れた俳優であり、だからこそこの仕事をしているのです。もし優れた俳優ではなかったなら、私は決して映画なんかには出ないでしょう。優れた女優だからこそ、他の皆ができるのと同じぐらい映画界に貢献することがでるのです。これは真面目な意見です。私はこれを強く主張しようと思ってここに出席しました。
実際素晴らしいことは、今では人々は私が出演しているからという理由で映画を見にやってくるようになっのです。これはテルグ語映画でのことです。こんなことは今まで一度もありませんでした。人々はヒーローを見に行くだけでした。今では皆が「ニティヤの映画だ。見に行こう」と言ってくれる。テルグではそういう女優として知られています。私個人への関心ではないのです。若い子や、女性全般が私のことを真剣に受け止めそして「ニティヤが好き」と言ってくれるのが嬉しいのです。素晴らしいじゃありませんか。今ではマーケットという点でも、アーンドラ・プラデーシュ州の別々の地区、ニザームやヴァイザグやその他の地域で「ニティヤの映画なら是非買おう」と言ってくれる配給業者やバイヤーがいます。私の映画を文句なしに買ってくれる配給業者が6、7名はいます。私なら価値があって利益を出せる演技をするに違いないというのが、この人たちが私に寄せてくれている信頼なのです。
私の出演作はどれも商業的にとても成功しています。私の最初の3つの映画は非常にヒットしました。『こんな風に始まった』『愛』『恋の迷い道』です。とても良い映画で、大手の映画に太刀打ちできたとまでは言えないものの、商業的には成功でした。私はどうせやるならうまくやれの精神でなんとか自分を表現することができました。たとえ一介の娘であろうと女優は女優です。職業はなんであれ、このようにすれば人々から尊敬を集めることができるのです。映画がヒットするとその俳優の映画は当たるに違いないと踏んで、配給業者は「これに出資しましょう」と言ってくるでしょう。私はこれを証明したかったためにテルグ語映画産業で働き始めました。業界の中に足を踏み入れて、私はそれを証明しました。私にとってこれが、この男性優位の映画界の中にいる女性としての私自身の表現方法なのです。
自分で作るならば、活躍の場はきっとできます。自分から駆けずり回って「なんとかして女優になりたのです。そのためには何でもします。言われた通りにやります。」と言うのもいいでしょう。でもそれは別の舞台です。自分で作るならば活躍の場はできるのです。男性優位が必然的であるとしてもそれについて何もできないのということにはなりません。女性として私たちはその表現の場に立つことができます。そうすれば活躍の場は自ずと向こうから提供されます。かれらは皆、私を愛してくれています。それが業界人であれ観客であれ、皆は私を愛してくれています。そうすれば皆はあなたと一緒に働らきたがり、あなたを正当に評価し、本当にあなたを尊敬します。男性優位の場所であるにしても、もしあなたが敬意に値する方法で物事を行うのなら、かれらはあなたに敬意を持ち、活躍の場を与えるでしょう。これがこの映画界で私が占めている場所なのです。
赤井
どうもありがとうございます。
ローヒニ
一言付け加えさせて下さい。かつて名女優サヴィトリとジャヤスダーがいました。テルグではこの伝統はサウンダリヤまで続いたと思います。でもサウンダリヤの死後に、衣鉢を継ぐ者は現れませんでした。でも私が思うに、ニティヤの登場で再興されたのです。要するにそのようなスタンスであるならばどこでも占める位置があります。何も映画界だけに限らないのです。どの世界であっても、あなたが立つべき位置を定めそしてまず自分自身を尊敬するなら、その世界であなたは尊敬されるようになるでしょう。
赤井
ありがとうございます。 実は元々このディスカッションから特定の結論を出そうとは思っていませんでした。
ローヒニ
具体的な結論は必要ではないでしょう。対話のきっかけになればよいのです。
赤井
そうです。このことがすべての人にとって、とりわけ男性にインドにおける女性性とは何かを考える出発点になって欲しいと思います。そういう風に考えてこのシンポジウムを企画しました。これで私たちのディスカッションは終わりとしますが、若干時間が残っていますので、皆さんから質問や意見を賜りたいと存じます。

[以下フロアからの質問を抜粋して紹介。質問は要旨のみ]

質問(要旨)
もしインド映画で女性性が先頭に押し出されるようになっても、すぐに商業主義に組み込まれてしまうのではないか。ヒロイン中心映画がヒットしたらすぐに模倣されて「ヒロイン中心映画」という新しい形式が成立するだけではないか。
ローヒニ
そういうことが起こればいいと思っていますが、残念ながらまだそこまで至っていません。
ニティヤ
プロデューサーにせよ監督にせよ、繰り返し口にするのは、演技ができる俳優がいない、女優がいないということです。あの人たちは映画界の主流にいます。そこには特定の俳優だけがいて特定の演技だけをします。新たな機会を与えてやろうとする者は皆無です。だから誰も脚本を書かないのです。そこでどうなるか。私たちのような俳優は何もできません。演技できるような良い映画がないのです。先ほど私がはっきりとさせておきたい、その突破口を開くのが私の仕事だと述べたときに言いたかったのはこのことなのです。今や業界の人たちは私のために脚本を書きます。私を念頭においてストーリーを組み立てるのです。セリフを始めるんじゃなくて、ストーリーを書き始めてもらいたいんです。これが新しいやり方のきっかけになって欲しいと思うのです。女優の中にも演技をつけてもらわないと出来ない人もいれば女優であるがゆえに演技できる人もいます。それと同じで、脚本家であるからストーリーを書ける人がいて当然でしょう。これは誰かがどこかで始めないといけないことです。そうすれば実現してゆくでしょう。でも私はこの目で最近の変化を見ました。ローヒニやナンディニやアンジャリ、こうした監督が活躍し出したのはつい最近、ここ二、三年のことです。女性が頭角を表す新しいトレンドが始まっているのです。実際のところマニラトナム監督の『OKカンマニ』でもクルーの大半は女性です。コスチューム・デザイナーのエカとエカの三人の助手、美術のシャリミシュタ・ローイ、それにプロダクション部門にマラ・マニャンがいますが、私はこれ以前にプロダクション部門のマネジャーに女性が携わっているのを見たことがありません。助監督のシャリニも若い女性です。マニラトナム監督の映画は女性だらけです。つまりそれはもう始まっているのです。すぐに始まるに違いないと思います。
質問(要旨)
インド映画での職業選択における性差別と給与格差について。
ニティヤ
多分どこでも同じでグローバルに同様のことが起こっているのは避けられないでしょう。インド映画とかインドとか限定して議論できないと思います。以前ハリウッド女優が、ハリウッドですら男優と女優との間にギャラの格差がある、莫大な格差でそれはトップクラスの女優でも同じだと語っているのを聞いたことがあります。私はそれが世界的なことであると思います。世界的なのはつまり態度のことですね。「ああそれはオンナの仕事だろう」などと言うのは。インドでも同じで、実際私は一度も男性の看護師に会ったことがありません。インドでは看護師は男性の職業とは思われていないのです。だから誰もやろうとはしない。そうした固定観念なのです。そしてそれは世界的なのだろうと思います。避けられないことです。それに対処する一番の方法は自分の立ち位置を発見して間接的にでも自分なりのやり方で発言することです。それ以外に方法はない。そうでないと何も変えられません。
ローヒニ
女子のための職業は優先して確保されることが望ましいですが、それ以外は男女関係なく誰にも平等に開かれてなければなりません。
質問(要旨)
日本映画を見ているか。見ているとしたらどれほど評価しているか。
ローヒニ
もちろんです!何を言ってるのですか! 私は今黒沢明の国にいるんですよ!
ニティヤ
ローヒニは興奮してますね。黒沢監督の大ファンなんですよ。黒沢ならどんな映画も見るんですよ。
ローヒニ
日本に着いたとき地面を触って「ああこれが黒沢明の歩いたのと同じ土地なんだ。黒沢はこの空気を呼吸したんだ」と思ったくらいなんですよ。何を言ってるんですか。黒沢はお手本、私たち映画監督にとってどのように映画を作るかのお手本です。実際私は映画を撮るにあたって黒沢の自伝を読み、黒沢がどのように映画を準備したか、黒沢がどのように脚本読みに俳優を引き入れたかを学びました。その通りにしたんです。
ニティヤ
『お父さんのヒゲ』の時ほんとにそうしたんですよ。
ローヒニ
ええ。そしてロケ現場へ行ってたくさんのアングルで撮ってみました。同じ季節に何度か現場に行ってみて、撮影の時期はこの時期だと決めました。かれは私のグル、師匠です! その私に日本映画を見たかなんて…
私はかれの映画は全部見ました。『羅生門』やもっと初期の作品までも。3人の俳優だけで撮った作品がありますね。三船敏郎ともう一人黒沢お気に入りの年上の俳優の教授です。この人は黒沢の全部の映画に出てますね。二人が海軍から退役して来て一人は警察の警部補になる。もう一人は泥棒になる。この二人が出会うのが…映画のタイトルはちょっと忘れました。別の映画ではこの老教授がガンにかかって退職しようとする、そこで若い娘と出会ってまた息子やその嫁と会う。嫁は舅が娘に惚れているのではないかと疑う。黒沢の初期作品を全部見た人は日本でもそう多くないでしょう。それに『七人の侍』がありますがこれは映画撮影に際しての教科書です。『羅生門』もそうです。他にもインド映画界でよく知られた作品があります。例えば『蜘蛛巣城』とか。それほど知られていない作品でも私は見ました。若い男女が10円だったか12円だったかしかなくてそれで一夜を過ごそうとする話です。実に美しく描き出されています。
黒沢の映画に対する態度ときたら…奧さんと結婚するきっかけもそうだったと聞いています。黒沢はリハーサルで出演者を散々しぼりました。そこで女優の代表として後に奧さんになった女優がやってきて、このやり方は非道だ、こんなことは許されてはならないと主張しました。黒沢の答えは「映画の方が大切だ」でした。撮影が終了すると、この二人は結婚しました。こうして黒沢明監督と夫人は結ばれたのです。こんなふうに私は黒沢監督の人生に起こったことなら個人的なことにいたるまで全部知っています。黒沢の兄が活動弁士だったことも知っています。その頃は無声映画時代で黒沢の兄は映画にセリフをつけていたのです。その後トーキー時代になってかれは失職しました。うつ病になって自殺しました。この人は黒沢を連れて惨事を目撃させた人物です。関東大震災の時に。
私の記憶に間違いなければ、このことから黒沢がこう言ったといわれていますね。「私の映画は血まみれだが、それは子供の時近所で死体を見たからだ」と。黒沢がクライマックスのシーンに使うために台風が来るのを待ちに待って、二十日間待っても台風が来ないのでプロデューサーが音を上げたのも知ってますよ。こういうのなら永遠に話し続けられます。
赤井
黒沢は南インド映画界でたいへん有名ですね。例えばチランジーヴィの弟パワン・カリャンは息子に黒沢から名前をとってアキラと名づけたと聞いています。
ローヒニ
我々の全員が本当にかれを称賛しています。
質問(要旨)
テルグ語映画界で立場を得て発言力を持つにいたるまでに、男性支配的体制のどんなところと衝突があって、どのようにしてそれを打破したのか?
ニティヤ
前にも言ったように、私は初めから他の人のように何がなんでも映画界に入りたかったわけではありません。だから何が起ころうと気にしなかったのです。
ローヒニ
有名なヒーローに向かってもノーと言う。それが第一歩です。誰だか名前を言う必要はないと思います。
ニティヤ
本当に気にもかけませんでした。私は心で正しいと感じたことをしたまでです。それが私のやり方だった。そこで起こった問題は、そうした私の姿勢に関して色々言う声があって、と言うのも業界人は有名スターからのオファーにノーを言うような人間に出会ったことがなかったからです。特定のヒーローにヒロインが嫌と言うなんて思いもしなかった。私が最初にそうしたときにあの人たちはショックを受けました。だからあの娘はああだこうだと言う噂が立ったんです。
会場から
有名なスターならそのような発言をすることも想定できますが、業界でのしあがっていこうというような段階なら相手もしてもらえないのじゃないですか。
ニティヤ
のしあがっていくなんてことは最初からありませんでしたね。私の最初の映画は大ヒットでした。仕事を回して欲しいとかのしあがってゆくとか、最初からそういう立ち位置にいたことはないのです。ニティヤは気むづかしい、あの娘は御しがたいという噂が少しは立ちました。でもたくさんの人と仕事をして、皆が理解してくれるようになれば、「たしかにこの娘は違う。一緒に仕事してもすごくクールだ。いいじゃないか。この娘と仕事するのは楽しい」という評判になります。そうして広まっていったのです。今では皆がこう思うようになりました。「ニティヤ・メーネン。あの娘が出るなら違った映画ができるに違いない」と。きっと違う映画、それが私の獲得した共通認識です。強調したいのは、まずそれをテルグの人たちから得た、テルグ語映画でその評価が確立したということです。
質問(要旨)
ニティヤのいう「立場」「舞台」「立ち位置」とはどういうものなのか。
ニティヤ
それを獲得するためには必ずしも誰かと争う必要はないのです。先ほども言ったように、皆は私のことが大好きです。私は南インド映画界のどこにも親しい友人を持っています。その人たちは全員私のことを尊敬していますし、とても私を好いてくれています。大切にしてくれます。私のことが好きだからこそ大事にしてくれるのです。だから別に厄介ごとを起こす必要はないのです。厄介ごとといえば芸能マスコミに関したことでは起こりますね。仕事を一緒にする人たちと問題を起こしたことはありません。仕事の上では誰ともたいへん良好な人間関係を作ります。なぜなら私はプロだからです。小さな問題は対マスコミですが、それはいうならば些細なゴシップみたいなものです。それも鎮火しています。皆が私の映画をもっと見て、私の意図を分かってくれているから…
私のいう「立場」「舞台」「立ち位置」とは、さっきフロアからの発言にもあったように、映画界は男性中心主義的な世界で、女性はお飾り的なパーツでしかない等々の外部環境がありますね。その中で私の立ち位置とは、意義のある映画で演技できてそれもまた興行的に成功しうる、そして商業映画のヒロインがやるような役をしないというところにあります。それは私の立ち位置ではない。誰にもそういう立ち位置がある、あなたもそう望めばそうした位置に立てる、というのが私の言いたいことなのです。そこに固執しすぎて自分自身を表現できないようではダメです。自分自身を表現しなければならない。強く自己表現すれば、必ず人に聞き入れてもらえます。それが「立場」「舞台」「立ち位置」という言葉で私が言いたかったことなのです。自分の選択で私の出たような映画で演じ、自分が話すように話し、自分が考えるように考える。私は心の命ずるようにするだけです。心が正しいということをするだけです。そうすることではじめて、私は自分の立ち位置に立てるのです。そして今、私は他にない名声を得ています。それが証拠に人々はこう言います。「これはニティヤ・メーネンの映画だ。きっと面白いに違いない。見に行こう」と。これが私が作り上げた立ち位置なのです。
赤井
どうもありがとうございます。質疑応答でこのように盛り上がっている最中にこのシンポジウムを終了しなければならないのはたいへん残念です。ご静聴ありがとうございました。
pagetop